国立競技場が、一度終わるようだ。

次なる転生まで、一度さよならだ。

そのいっときの安らぎの境地へ旅立つ国立競技場にお別れをするため、

日本の名だたるアーティストが、その夜、集結した。

「JAPAN NIGHT」は、はじまった。


「あとひとつ」ファンキー加藤

信濃町駅駅員の田中鉄郎(39)は、その日憂鬱だった。

田中はこう思っていた。

分かりますか?駅はライブの客で大混乱、誰も言うことを聞かないし、

声が枯れるまで叫び続けねばならない。

「立ち止まらないでくださーい!」

しかも今日はプロ野球もある。ヤクルト・日ハム戦。先発は注目の大谷投手だ。

「ざけんなよ」と言いたかった。同じ日にやるなよ。

そして駅員が思うのもおかしいかもだが、

なんで改札がひとつしかないんだ。

ほら、ファンキー加藤が今「あとひとつ」って歌ってるじゃないか。

まあとにかく、

千駄ヶ谷駅チームでなるべく多く捌いてくれ。マジで頼む。




「栄光の架け橋」ゆず

信濃町駅前で屋台のラーメンを売っている富樫圭太(23)は、今夜にすべてを賭けていた。

屋台の親方に、今月の売上が目標に行かなかったらクビと宣告されていた。

もう今夜のライブと野球ファンにすべてを捧げるしかない。

オレの全魂を込めた一杯。

「やっぱり屋台は屋台だな(笑)」と言われ、

何度愛想笑いを返してきたことか。

ライブの音はガンガン聞こえてくる。今は「ゆず」の2人の出番のようだ。

オレの湯切りと、「栄光の架け橋」のあの大サビのところがちょうどリンクして、

なんだか感動で泣きそうだ。

がんばるよ、オレ。オレだって今、アスリートなんだ。




「Diamonds」岸谷香

山田みつ(75)は都営バスのバス停「信濃町駅前」のベンチに腰かけていた。

なかなかバスが来ない。いつになったら来るのかしら。

それにしても今夜はうるさいわね、国立競技場。いつもより音漏れがひどいわ。

プロ野球も開催してるから、余計音を大きくしてるんでしょうね。

そのへんは分かるのよ、私推理は得意なの。

ほら、「ダイヤモンドだね」って今歌っているじゃない。

新宿のアガサ・クリスティーと呼ばれた「安楽椅子探偵おみつ」とは私のこと。

え?そんなのは推理とは言わないですって?

あら、そう。残念だわ。

そういえば、バスはまだ来ないのかしら。




「やさしくなりたい」斉藤和義

信濃町駅前にあるビルで働く岡坂陽一郎(32)は、とにかく早く帰ることを考えていた。

だって、ライブ終わったら電車混むじゃん。イヤじゃん。

満員電車だと人間のやさしさのスペースがなくなって困るから。

ギュウギュウのイライラだから。

バファリンの1%でいいからやさしさが欲しい。

さてさて、ビルの前に立つと、ライブの音は丸聞こえだ。

道行く人々も何人かは足を止めて、オレに聞いてくる。

「誰かのライブですか?」

いちいち説明するオレは滑稽だ。スタッフでもなければ熱狂的なファンでもない。

知ったかぶりする自分もイヤだし。

でもまあ、有名な曲ばかりでテンションが上がっているのは間違いない。

今夜の出演アーティストは分かっているが、演奏順は分からない。

でもオレの予想では、大トリを飾るのはきっとあのアーティストだろう。

最後はあの歌だな。国立、オリンピックときたら…。うん、間違いない。

おっといけない、仕事仕事。





様々な人々が、様々な思惑を抱き「JAPAN NIGHT」は進んでいく。

そして当然、はじまりがあれば終わりがある。

最後の曲が流れ始める。

ひとつの時代の終わりとしてのテーマソング。

でも人々は終わらない。これからも続いていく。

そんな歌だった。

曲の終わりの最後の最後、

渾身の歌声が響き、

人々は一斉に夜空を見上げた。


東京の夜空を彩る、大花火。


驚く顔、横目で見る顔、振り向き顔。

もちろん歓声をあげる観客の顔。

時代はこれで終わるのかもしれないが、どうしてだろう。




どの顔も笑顔だ。






「エピローグ」

そんな花火で全員が空を見上げた瞬間であったが、ひとりだけ目線が違っていた。

やさしくなりたい岡坂は、夜空が輝き世界がきらめくその刹那、

目の前を歩くミニスカートの奥にピンク色を見つけていた。

彼はつぶやいた。

「だから言ったろ。

  『風が吹いている』。」